景観日和
犬の落とし物
2007-04-10
私は犬好きである.だからなのかヨーロッパを旅行すると、注意しているつもりでも街中で犬の落とし物を踏んでしまう.一度は、スペインのバルセロナで、ピカソ美術館から出てきて、向かいにあった土産店の絵葉書の棚の直ぐ下に仕込まれていたのに気付かず、まんまと引っかかってしまった.
最近ある人が、ヨーロッパは馬が交通手段として使われてきたので、街中に動物の落とし物があるのは当たり前のことと考えている、と言うのを聞いて、なるほどと納得した.そう言えば、女性のふくらはぎをすらっと美しく見せるハイヒールの起源も、街路の落とし物対策であるということを思い出し、ヨーロッパで犬の飼い主のマナーに腹を立てても意味がないと悟った次第である.ところが最近,パリの街で犬の糞が減ったというニュース(2006.9.6ロイター)を目にした.その要因は飼い主に対する罰金が日本円で約27,000円と大幅に引き上げられたことにある.日本の景観のお手本でもあるパリの住民も罰金が動機付けになるというお話である.
写真-2 パリの裏道
写真-1 バルセロナにある世界的に知られた橋の下も犬の糞だらけ
ところで、日本では幸いな事に街中で犬の落とし物を踏んだという経験は無い.ごくまれに、裏道で置き忘れられたものに遭遇する事はあるが、すぐにそれと気付くので踏んでしまうような事はない.ヨーロッパとの対比で、元々日本人は清潔好きで、街中で動物を交通手段として使うという事が一般的ではなかったから、落とし物は片付けるものという意識が飼い主にはあるという説明ができるかと思っていた.少なくとも、私が育った街ではこの説明は正しいように思われたが、どうも一般的には日本の犬の飼い主は意図的にマナー違反を犯しているらしいことをある機会に認識させられた.
写真-3 公園の入り口に掲げられた犬に関する注意書き
私が委員を務めているある市の緑化推進委員会は、本来公園緑地の使い方や管理方法を検討することと、文字通り市内の緑化推進について議論することが役務であるが、会合において話題となるのは、公園緑地における犬の糞害である.猫が公園の砂場で用を足すことが問題となっている事は以前から知っていたが、飼い主が犬をわざわざ公園や緑地に連れて来て用を足させたまま放置するという問題である.これは、意図された行為であるから、落とし物ではなく不法投棄である.公園に人がいない時間を選んで訪れたり、人目につかない場所を選んだり、と明らかにマナー違反であることを認識しながら行っているらしい.そこで街中で気をつけて観ていると、道端の植え込みに、「犬の○○お断り」であるとか、「犬のマナーは飼い主のマナー」というような立て札がある.どうも路上ではなく、他人の敷地で用を足させる飼い主がいるようである.
写真-4 近所の裏道に立てられた小さい看板
歴史からも分かるように、人間は不衛生なものを居住範囲の外に出してしまうということをして来た.旧約聖書には、皮膚病にかかると不浄とされ、街から隔離されて、病気が治るまで一般の人とは接触できない、ということが書かれている.日本の奈良・平安時代には、不浄な死体を都市の外の河原に埋めていた.また、これもテレビ番組からの知識であるが、日本において火葬と水洗トイレの普及には密接な関係があり、それは汚れた物をできるだけ早く目の前から消してしまいたいという意識の高まりだそうである.さらに、最近では自分の子供のウ○チの世話が出来ない親がいるというから、日本人のアンチ汚物意識はかなりのものである.(子育ての経験が無く、シャワー付きトイレ好きの私が言うのもなんだが.)この流れから考えれば、生きている「ぬいぐるみ」は可愛いが、「動物」の世話はしたくないという飼い主がいることは不思議ではない.だから自分の居住範囲の内(家)の外で、不浄なものを処理したいとなるのであろうが、自分の家の外が、他の人の生活にとって「内」であるという意識を持てないことがそこにある.
「内」と「外」は、「ゲニウス・ロキ」などに見られるように、景観や空間にとり重要な概念である.そこでは、地域性や文化の違いにより「内」と「外」の境界が多様であることが興味の対象となっている.基本としては、「内」は安全な場所であり、「外」は危険な場所である.全国の犬の飼い主には、家の外でもマナーを守って頂き、公園緑地も安心して歩ける「内」にして貰いたいものである.
クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ著、加藤邦男・田崎裕生共訳「ゲニウス・ロキ」住まいの図書館出版局、1994.