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霊感商法的まちづくり

2007-05-06

  中国地方のとある都市の商店街は、周辺地域の高齢化に伴って衰退していた.そこで、商店街では「高齢者に優しい商店街」をコンセプトに、活性化案を検討した結果、おじいちゃんおばあちゃんの原宿と呼ばれる亀戸天神通り商店街を真似て、天神様を中心に据えた整備を行うことにしたという.この天神様は「おかげ天神」と呼ばれ、「ぼけ封じ」のご利益があるものとされ、その石像を拝みながら拭くと、自分の体の石像と同じ部分が良くなるという言うものである.高齢者に、天神様にお参りして、その延長で商店街を散策し、いろいろ買い物をして貰うということが狙いであり、これが見事にあたり、衰退していた商店街に人通りが戻って来たという事である.

  これだけを聞くと、なるほど良いところに目を付けたすばらしい活性化手法だと感心してしまいそうだが、実は中心となった天神様は元から存在したのではなく、このプロジェクトのためにでっち上げたものだというのである.「でっち上げ」というのが棘があるというのであれば、「創造した」と言い換えても良い.1998年に横浜ベイスターズが優勝した時に、クローザーとして優勝に多大な貢献をした佐々木投手のニックネームである「大魔神」にちなんで、横浜そごう前に「ハマの大魔神社」が作られ人々を集めたが、これなどはそこを訪れる者も洒落と承知の上であるから罪は無いが、体の不調や、記憶の衰退が気になるお年寄りが縋る気持ちに付け込んで商売に利用するというのは考えものである.昔から「鰯の頭も信心から」と言うように、そこにお参りする本人達が納得していれば良いというのであるかもしれないが、「がんに効く」と言って売られている諸々の物と違いはないように思われる.しかし冷めた見方をすれば、元々日本における信仰は、御都合宗教のようなところがあるので、文化のコンテキストを正しく反映していると捉えるべきかもしれない.

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写真-1 参拝客で賑わう浅草仲見世

 このように直接宗教の形を使っていなくても、消費者に過大な期待または幻想を抱かせる商売はいくらでも存在する.最近流行の健康グッズは、よくお笑いのネタにされるように、テレビショッピング番組でマッチョな男性とグラマラスな女性のモデルが登場し、にこやかな表情と共にその効用が説明される.視聴者に、その製品を使うだけでマッチョな、またはグラマラスなボディーが得られると思ってしまうような演出になっている.よく見ると、画面の隅に余程の大画面で見ない限りはっきり読めない大きさの文字で、「この効果は人によって異なります.」であるとか、「これは個人の感想であって、全ての人が感じられるものではありません.」であるとか表示されているが、そのコメントを注意して見る人は、そのようなテレビショッピングには興味を示さないであろうと思う.

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写真-2 閑散としている地方都市の中心商業地

 しかし、番組が続いているところを見ると、この宣伝を観て商品を購入する人も少なくないのであろう.また、「いつかは○○○○」という宣伝で販売されていた高級乗用車について考えてみると、その車に乗るにふさわしい社会的地位を得た時に購入してくださいと解釈するのが素直な受け取り方だと言える.しかし、実際に街で見かける、○○○○を始めとして、高級車を運転している方々の多くはマナーがよろしくない.中心街の駐車禁止場所やショッピングセンターなどの障害者用スペースにに止めている車の多くはこれら高級車である.社会的地位はそれに相応しいマナーやモラルが伴うべきものであるにも関わらず、「いつかは○○○○」ということが、○○○○を所有していれば社会的地位を得ているというように、いつのまにか十分条件として認識されるようになってしまい、社会的地位を持っていると思いたい人々の購買欲望をかき立てている.

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写真-3 いつかはモナカ

  一方、人にモノを買わせる方法として不安を煽るというやり方がある.各種保険や健康に関する商品がそれである.自動車の任意保険は更新の度に新しい特約を勧める.車から降りて歩いている時に上から何か落ちて来て怪我をしたときも補償されるであるとか、自分のテントが風で飛んで他人の車を傷つけた場合にも補償されるとか、火災保険の地震特約は、大きな地震が発生した直後に勧誘のパンフレットが送られてくるという具合である.健康に関するものでは、血液ドロドロは心筋梗塞や脳血栓をもたらすので危険であると言って、血液をサラサラにする食品や磁気アクセサリーを勧める.

 環境事業や防災事業も純粋な動機で取り組んでいる専門家や行政が全てと信じたいが、一部には不安を煽っているような事業の推進もあるのではないか.絶滅危惧種が見つかったという事で、流域の出水をコントロールする整備をする事無しに、住宅密集地域を流れる河川に対して行われる多自然型河川整備であるとか、大地震に見舞われた時に、物資輸送や避難の経路が完全に寸断される事がないように、複数の路線を確保しなくてはならないとして進められる高規格道路の建設であるとか言うような事業がある.これらの中には、筋は通っているが、他の対処方法もあるのではないかと思わせるようなものもあり、本心は土木事業量の確保にあるのではないかと疑ってしまう.私のような同業者(広い意味での)でさえ怪しいと感じる事業に対しては、問題意識を有する一般の市民が疑心暗鬼になっても仕方ないであろう.

 私自身も「景観整備をすると街が活性化されて商業が戻ってくる」であるとか、「景観をなんとかしないとこのまちの将来はない」というような言い方をしていることがあり、それは御利益があると思い込ませたり、不安を煽ったりという霊感商法の常套手段と変わらないかもしれない.人の振り見て我が振り直せである.

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