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環境商業主義

2007-04-24

  ロハス(LOHAS:Lifestyles Of Health And Sustainability)という単語が日本でも良く聞かれるようになってきた.「ロハスとは、地球環境保護と健康な生活を最優先し、人類と地球が共栄共存できる持続可能なライフスタイルと、それを望む人たちの総称」である.この定義を文字通り受け取ると、かなり原始的な生活になってしまうが、実際には「健康的で地球環境に良さそうな生活」と捉えるのが実態に近いようである.例えば、屋上緑化した家に住み、食事は無農薬の野菜と米、通勤は自転車、余暇はアウトドアや環境ボランティア、移動はハイブリッド車という生活をイメージすると分かりやすいであろう.

 これまで、環境に良いモノは、一般的に高価であるか、面倒であるかの何れかであったことが、それらが広く普及するのに壁となって来た.環境を良くしたいという純粋な気持ちから、その壁を乗り越え、いかに人々に環境に良い行動をとってもらう事ができるかを考えていると、環境に良いモノや事が人々にとって魅力的であればよいという結論に至るのは極自然な流れである.今の時代、魅力的であるというのは、そのモノを持っていたり、その事をしていたりする事がカッコイイと思える事である.そこで、マーケティングのセンスがあれば、社会のイメージリーダーが環境に良いモノを使ったり、環境に良い行動をしたりすれば、一般の市民が彼等の真似をするようになり、環境に良いモノや事が社会に普及するようになると考えるであろう.ロハスはそのような社会的戦略として提唱されたのかもしれない.

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写真-1 クリーンでグリーンなプリウス

  実際、ロハスだけではなく、環境に良いモノを生活に取り込もうとする環境コンシャスな人々は比較的裕福でもあり、環境に良いという事に対してエキストラのコストを払う意思がある.例えば、ハイブリッド車の代名詞ともなっているトヨタのプリウスの価格帯は227~326万円であるのに対して、同サイズのカローラは最も高いグレードで222万円である.無農薬有機栽培野菜は、一般のスーパーであれば食料品売り場の特別な一角にまとめておかれていることもしばしばで、「普通の」野菜の1.5倍から2倍の値札が付いてる.また、自動車通勤をやめて自転車に乗り換える勤め人が増えれば、行政には自転車道や自転車レーンの整備、公共交通機関にはバスや電車等への自転車の持ち込みの対応、ビル・店舗の所有者には駐輪場設置、というようなコストが発生する.これらの商品やサービスを求める消費者・利用者が増え、生産量が増えたり整備水準が上がる事により価格等が下がり、さらに多くの消費者・利用者が、環境に良いモノや事を選択するという社会になれば、環境を良くしたいという純粋な気持ちからの願いが叶うことになる.

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写真-2 タクシーまでもプリウス

  ところが、現実にはそうはならない.プリウスの例から分かるように、ビジネスという視点からは、「環境に良い」ということで50%高価な商品を売る事ができるということである.ビジネスになるということは、その分野で生きて行こうとする人が生活の糧を得られるという側面がある一方で、対象はなんでもよいから商機を求めているという人に興味を与えるという側面もある.1980年代のバブル期に、国の経済状況に合わせて景観を良くしなくてはいけないという機運が高まると、多くのにわか景観専門家やにわか景観専門業者が出現し、景観整備が精力的に行われるようになったものの、高価かつ陳腐なモノが全国に作られることになり、その後に起きた阪神・淡路大震災の影響もあり、かえって景観整備は無駄な物と認識されるようになってしまった.景観以外に例を探すと、本来は人々の福祉の向上が目的であった介護事業も、行政の援助が得られるという事が分かると、ビジネスを目的とする、はっきり言えば「金儲け」を目的とする業者や人が参入して、様々な問題、時には事件までも起きている.行政自らが介護事業を公共事業削減に伴う雇用の受け皿として捉え、単なる数合わせの道具として認識していることにも問題がある.

 近頃では、土木学会誌や日経コンストラクションでも、これから土木分野の生きて行く道として環境保全が取り上げられている.私自身もそのことには異論はないが、ビジネスになるということが両刃の剣である事を十分認識し、志の低いまたは無い者が参入して来たとしても、求めている本来の姿を実現できるような社会的な仕組みを作る事が必要である.

 

ロハスクラブHP URL http://www.lohasclub.jp

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