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プチ社会

2007-09-06

  最近の社会現象として取り上げれるものの中に、「プチ旅行」「プチ留学」「プチ恋愛」はたまた「プチ家出」から「プチ整形」まで、「プチ」という接頭語が付いた造語が数多くある.これらは、ある程度覚悟や準備がないとできないことに、「プチ」を付ける事によって、自らの中にあるハードルの高さを下げているように見える.本格的に取り組む覚悟は無いけれども、これまでの日常から大きく外れる事無く「ちょっと(プチ)」だけしてみたい、ということであろう.また、「プチ」と似たような使われ方をしている語として「チョイ」がある.月刊ファッション誌「LEON」の元編集長岸田一郎氏が生み出した一連のキャッチフレーズで広まったもので、「チョイモテオヤジ」や「チョイ不良(ワル)オヤジ」から始まり、その亜流がいろいろ出ている.「チョイ不良オヤジ」は、本当の不良ではないが、不良性に惹かれる女性心理に訴えるために不良の振りをする中年男性を意味している.オヤジ世代にとって、「愛と誠」(若い人は知らないかも.)のように、物語の中で可憐な少女や魅力的な女性にモテるのは一見不良で、実は心優しさを隠し持っている男と相場が決まっていた.だから、オヤジの頭の中には「不良=モテる男」という関係が出来上がっているのである.しかし、一般的に「オヤジ」と呼ばれる男性は家庭を持ち、なんらかの社会的な地位もあるだろうから、妻以外の女性から本気でアプローチされたらトラブルになるであろうし、そこまでの覚悟は無いということで、「チョイ不良オヤジ」というあり方は職場や飲み会の席で女性にチヤホヤされる程度にモテれば良いというための、極めて妥当な戦術として受け入れられたと考えられる.しかし、今の若者世代にとって、伊東美咲のような女性をゲットするのは優柔不断な電車男であるから、20~30年後には「チョイ駄目オヤジ」というのが、「できる男性」の間で流行るかもしれない.

 少々脱線してしまったが、「本格的に取り組み気は無いけれども、ちょっとだけしてみたい」という「プチ」願望が個々人のトレンドとなっていると言える.このトレンドは、情報・交通を始めとする社会的利便性の向上により、個人の要求を満たす手段の所在を知る事や、それらにアクセスする事が容易になって来た事が背景にあると考えられる.また、このようなトレンドに対応したサービスの提供や、社会的システムの整備により、ますますこのトレンドを増長する方向に向かっている.「プチ社会」は、多くの人々が様々な経験をする事ができる、という点である種の豊かさを示していると言えるが、本来は「プチ」であってはならない事まで「プチ」の対象としてしまう恐れがある.例えば、田舎暮らしに魅力を感じて、退職したら正式に移り住むつもりで、過疎地に土地と家を買って、週末だけやって来て畑仕事をするという生活をするという都市居住者が出て来ている.これらの人々を対象とした専門誌や、専門業者も増え始め、さらにこの状況に目を付けた、過疎に悩む自治体が、自ら情報提供や斡旋をするようになって来ている.ところが、都市居住者の多くは、都市での日常生活の延長で「田舎の生活」の好ましいところだけを味わいたい、という「プチ」意識であるのに対して、受け入れる田舎は、そこで過ごす全ての時間が「田舎の生活」であるという意識を持っている事から、両者の間に軋轢が生じ、都市居住者は田舎への移住を諦めるという状況が多く見れるようである.このように、地域づくりを考える際には、責任感の希薄な「プチ」意識に対して過大な期待をすることには問題がある.

 大都市圏で人が集まっている場所や施設を「プチ」で捉えると理解しやすい.お台場にある大江戸温泉物語を始めとする、テーマパーク型○○施設は「プチ」需要をターゲットとしていると考えられる.ゆりかもめで大江戸温泉物語(http://www.ooedoonsen.jp/)へ「ちょっと」出掛ければ、松山の道後温泉に行った気にもなれるかもしれない.それはそれで構わないのであるが、道後温泉の代わりに大江戸温泉物語で良いと考える者が多くなると、道後温泉にわざわざ行こうという動機を持つ者の数が減少し、本物が廃れ、模倣が残るという状況が訪れることが危惧される.道後温泉程の歴史文化を有する施設であれば、それほど心配する事はないかもしれないが、大都市周辺の「普通の」温泉地にとっては今後大きな問題となる事が予想できる.

 地方が都心居住者の需要に期待する場合は、その需要が「プチ」であるかどうかを正しく判断し、誤った投資や開発を行わない慎重さが必要である.また、同時に「プチ」ではない本格的な需要をどのようにして掘り起こして伸ばして行くかが地方の生き残りにとって重要な課題である

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