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確信犯的景観

2006-11-22

それが犯罪となる事を知っていて何かをする人を「確信犯」と思っている人が意外と多いが、これは誤用である。ことばをテーマにしたあるテレビのクイズ番組で得た知識である。かく言う私も、この番組で聞くまでは、このように思っていた。「確信犯」の意味は、「道徳的・宗教的もしくは政治的義務の確信を決定的な動機としてなされた犯罪。」(広辞苑より)もう少し分かりやすく言い換えると、「自らが正しいと思う目的のために何かをしたところ、結果的に罪を犯してしまっていた」ということであろう。

この話を聞いて、すぐに連想されたのが警察である。「犯罪」だから警察という繋がりではなく、街のそこかしこにある標語看板や、毎年交通安全週間になると雨後の竹の子のように現れる幟旗のことである。市民の安全を守る警察としては、犯罪防止、交通安全を何らかの形で社会にアピールする事は必要であろう。したがって、標語看板や幟旗の設置の動機だけを見れば至極当然の事であり、市民の支持を受けるべき事である。しかしその結果、街の景観がどうなったかを観ると、その行為は明らかにある種の犯罪である。標語看板や警告看板は、交通標識で「注意」を表す黄色である事が多く、ディスカウントショップ等の巨大看板に匹敵するほど景観破壊に加担している。交通安全の幟旗は従来黄色が多かったような記憶があるが、最近ではパステル系の色が多数使われ、街路がさながらパチンコ屋の駐車場か売り出し中の建て売り住宅のような景観を作っている。

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写真-1 桜並木を台無しにしている交通安全の幟(のぼり)

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写真-2 市内のメインストリートの歩道に「ここは通学路です 自転車の方は児童に注意して下さい」と書かれた看板が設置された。店舗の置き看板や幟、放置自転車等を無くして、歩道の見通しを良くした方が、児童の存在に気付きやすくなると思うのだが。この注意看板のせいでますます歩いている児童が認識されにくくなっている。

 実は、警察だけではなく、消防署を始めとするその他の行政関係が意外と好ましからざるものを至る所に設置している。 民間の看板類と競い合って、 互いが他より目立とうとして、より鮮やかに、より大きくとするために、結果的にどれもが目立たず、しかし目に刺激の多い猥雑な景観が出来上がってしまうのである。2004年(平成16年)に施行された景観緑三法の一つである、屋外広告物法では屋外広告業が登録制になり、不良不適格業者の登録を取り消す罰則まで設けられたが、行政の側が景観緑三法の理念を理解していないとなると、折角の法律も宝の持ち腐れである。行政には、看板類を増やしていく足し算の発想から、ルールを作って減らしていく引き算の発想への転換が必要である。

 

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写真-3 街の大通り面しているということをわきまえない民間の看板にまさるとも劣らない警察署の敷地内に立てられた交通標語看板である。標語で交通事故が減るのであれば警察はいらないのではと皮肉を言いたくなる。

  一方で、地方分権を進める国策により財源の地方移譲も並行して進んでいるが、このことを機会に地方自治体が日銭を稼ぐことに興味を示してる。事務封筒の裏面に地元の企業の広告を入れるという程度は可愛いが、某先進市では、市庁舎入口の靴の裏を拭くマットに企業の広告を入れたり、各支所の壁面に広告を掲示したりするところまで来ている。しかも、そのような施策を他の行政団体が視察に来ているという事であり、全国で行政関係の建物や敷地に企業の広告が設置されるのも時間の問題であろう。これも地方自治体の財政の健全化のためにという考えの基に行われているという点で、確信犯であると言える。このような施策がこのまま進めば、行政の側が率先して屋外広告物法を反故にしてしまうか、さらに穿った見方をすると、民間を屋外広告物法で厳しく規制をしておいて、行政の広告価値を上げるという事もしかねないのではないか。

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写真-4 某県の封筒の裏は、宣伝で埋められている。

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写真-5 某先進市の施設の入り口に敷かれた宣伝が掲載されたマット。異国情緒あふれる良好な景観で知られている市の施設の玄関とは思えない。

   行政(首長)が地域の子孫に残すべき姿(景観)を考え、それを市民と共有しながら、その実現のために今出来る事をすべきである。先ずは、行政がまき散らした景観阻害要素を街中や郊外から撤去する事から始めて欲しい。その上で、各行政組織は、何かを景観の中に持ち込むことを思い立った時には、是非とも景観デザイナーか都市デザイナーをアドバイザーとして意見を聞くようにして頂きたい。

 上の文を書いた後で、大学の目の前の通りに奇妙な工作物がいくつも立てられた。時代劇で見かける瓦版やお尋ね者の似顔絵を貼るようなそれは、よく見ると地域の観光案内板になっている。無骨な台座はコンクリート製で、上面にピンコロが埋め込まれており、側面は木目調の塗装がされている。しかも、ご丁寧にアンカーボルトのナットまで木目になっている。調べたところ、県の観光部が依頼して立てたということである。この通りは、十分な歩道幅が無く、電線の地中化を行っているため歩道上に配電ボックスが設置され、歩行者の目線ではそれでなくてもごちゃごちゃした街路景観になっている。その上に、このようなものが出現してしまったのである。また、運転者と同乗者からはこの案内板は裏側しか見えない。このようなものでも、工事費を含めて設置にかかる費用は馬鹿にならない。税金を使って景観を破壊している典型的な例である。たとえば、都内の新宿通り麹町では地域の案内板が配電ボックスに設置されている。そのようにすれば、路上の工作物を増やすことが無いだけでなく、それまでは単なる無骨な箱であった配電ボックスが、ストリートファニチャーとして認識されるので、一石二鳥である。

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写真-6 大学前に立てられた観光案内看板。

写真-7 配電ボックスに案内看板を取り付けた例。(写真がややピンぼけです。)

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